昔は誰かしら家族以外の人がいつでもいたよね~

お寺生まれ同士で話すと出てくる昔話。

それはお寺にはいつも誰かしらがくつろいでいるというもの。妙心教会でも太鼓をたたいてお題目修行している方、こたつで母と談笑している方、銀行員や薬売りなど、いろいろな人がいた記憶があります。

先代の徳でしょうか?それともお寺というものが集いの場として機能していたのでしょうか?どういう理由かは分かりませんが、とにかく多くの人がいたのです。

しかし…、今は違います。少なくとも妙心教会では昔の形をとどめていません…。

どうしてなのか?何が違うのか?と考えざるを得ないのです。

アメリカという国は、カウンセリングという仕事が広く認知されているようで、気軽に相談するそうです。

お寺って、本当はカウンセリングのようなことをしていたのではないかと思うのです。気軽に来て、お茶でも飲んで、雑談する。こんなところだったのだと思うのです。

日本では、このお寺の役目をしているのが医療関係の施設のようです。日々、待合室に来て談笑しているという光景があるとかないとか???

お寺はゆったりくつろげる場所。じっくり相談できる場所。これこそ本来の姿なのではないかと考えています。

そのために…どうすればいいのか?

いろいろ考え、行動に移さなければいけないことがありそうです。

昔の様子を思い出して、少しだけ気持ちを書いてみました。最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。