そもそも宗教・信仰って何だ!?

若いころ、街で久しぶりに会った旧友から言われた言葉です。その時は、うまく言葉にできず、もどかしい思いをしたのを記憶しています。

では、今なら言葉にできるのか?・・・イエスともノーともいえる状態です…。ただ坊主をしているのですから、自分なりの見解は持っていた方がいいでしょう。

ということで、稚拙ではありますが、ちょっと私の見解を書いてみます。


宗教の「宗」という感じは、宗祖とか宗家などと使います。根本とか根源とかといった意味だと考えています。

では「なに」にたいしての根源・根本なのかというと、「この世」とか「私たち」とか「存在」とかになるのだと思うのです。

つまり、この世や私たち、存在はなんなのか?どうあるべきなのか?どこから来たのか?

こういうことを示すもの。これが宗教ではないかと思うのです。ちょっと哲学っぽいですね。

哲学との違いは、哲学は自分の頭で考え続ける営みであるのに対し、宗教は宗教的権威の見解を信じていくということでしょう。

宗教には宗教的権威が書いた筋書きがあり、それに乗っかっていく(信じていく)。哲学は自らで答えを出そうと絶えず考え続ける。この違いではないかと思っています。

誰かの筋書きに乗っかるのですから、どうしてもここには信じるという自発的な行為が必要となります。疑ってしまったら、もう乗ることは出来ないのです。

例えば、知らない土地で道を聞いたとして、その案内の通りに進まなければますます迷うばかりです。本当かな?などと疑ってはいけないわけです。疑うならば、初めから自分で考えるしかないのです。人に道を聞いた後、疑うのはちょっと違うと思うのです。

宗教は知らない土地で道を尋ね、それに従うようなもの。哲学は分からなくてもとにかく自分で行ったり来たりして目的地を目指そうとするもの。このように言えるのかなと思っています。

さて、ここで宗教というとキリスト教とかイスラム教とか、仏教とかいろいろあるわけです。でも私には当教会の信奉している法華経・お題目の教え以外はほとんどわかりません。専門家ではないので、何か言う立場ではないと思っています。だからこの先は、法華経・お題目の教え(仏教)を念頭に置いて書いていきます。

仏教は、お釈迦様により創始された宗教です。特徴はこの世にはたった一つの真理があり、これを自覚することで誰でも覚者(仏)なれるというものです。

ではどのような真理かというと、三法印というものになるかと思います。

  • 諸行無常
  • 諸法無我
  • 涅槃寂静

これはこの世のすべては移ろっていて一瞬たりとも止まることはない(諸行無常)

この中に存在する私たちも一緒で、確定した変化しない自我というものを持たない(諸法無我)

以上の二つを受け入れて、自分は変化し続け、変化しない自分など一瞬たりとも存在しないのだと心の底から思えるようになれれば、その人の心は平穏となる(涅槃寂静)

この世は川の流れのように常に移ろっているのだから、自分はこういう人間だなどと思いこまず、この世の移ろいと同じく変化し続けるのだと知りなさい。そうすれば様々な苦しみから解放されるのだよ。

このような教えかと思っています。

身近なところで考えてみるならば、たとえば奥さんにあなたは家事と育児だけしていればいいなどと暴言を吐く夫が現代にもいると言います。これは奥さんが傷つきますね。だって家事と育児だけをする存在だと存在を区切られてしまいますから。奥さんだって、妻であり、母であり、子供であり、孫であり、だれかの親友であり、…いろいろな面をもっているのです。この中から、役割としてこれだけ!と限定されたら…、苦しみます。

ご主人は、役割分担だと思っているかもしれませんが、奥さんの役割を一つに限定して、「奥さん=家事・育児係」としてしまっているのです。奥さんの変化する可能性を限定しているのです。これでは気遣いがないというしかありません。

これは仏教の教え・三法印からして反した考え方となります。こういう暴言を吐いたご主人だって、誰かからお前はこれだけやってろと言われたら面白くないはずです。俺にだっていろいろな可能性があるんだって言いたくなるのではないでしょうか?だからこういう暴言は絶対にいってはいけないと考えます。

この世のものは全て絶えず変化し続けている。だから今の自分に留まろうとせず、この変化を受け入れて生きていこう。誰でも確定した自我はないのだから、いろいろな面を持っていることを認めていこう。そうすれば気持ちよく生きていけるだろう。

お釈迦様の筋書きはこのようなものかと思っています。

この後、仏教は様々に分かれていきますが、三法印は全仏教に共通の考え方だと私は思っています。

本当に稚拙ですが、書いてみました。最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。少しでも考えていただけたら、今度はお題目の教えについても書いてみたいと思います。よろしくお願いいたします。