お話: 人は人を掛け値なく敬えるか…

法華経・お題目の教えは、とても難しい信仰。

だからすぐには出来ないのです…。

そこで、出来るようになりたいとまず思いなさい。これが今の私たちの信仰なのだ。

こう日蓮大聖人はおっしゃいました。

出来るようになりたい(できているお釈迦様のようになりたい)と意思表示するのが、南無妙法蓮華経のお題目を声に出して唱えるご修行なのです。

なぜならば、妙法蓮華経というお経にはお釈迦様のご本心が説かれています。そしてこのお経を信じますと誓うのが南無という言葉。二つ合わせて南無妙法蓮華経。仏様のご本心を私は信じます。という意味になるのです。

このように私たちが一生涯、お題目を唱えていくことで、少しずつ少しずつ、人も世界も良くなっていくのだと期待するのです。

今すぐは実現不可能でも、法華経の理想を実現したいと思い続けること。

ちょうど米を収穫するために田植えをするように!野菜を収穫するために、その種を植えるように!

まずこうなりたいという思い、これを表明していこう。これが日蓮大聖人が説いたお題目信仰だと考えています。

稚拙なお話ですが、お時間がある時、お聞きいただければ幸いです。

1
0