毎日3分間のお題目修行が出来るページを作成しました

お釈迦様の教化は、私たち凡夫に「妙」を悟らせること

仏教の創始者・お釈迦様。この方が説かれた教えが仏教です。仏教にはたくさんの教えがあります。中には一見、教えとして一貫していない、矛盾した考えと思えるようなものも一緒に存在します。

しかしこの一貫性がない、矛盾していると思える仏教という教えの根本があります。ちょうどおもちゃのコマのように、しっかりとした中心・芯が存在します。コマは中心・芯が、まっすぐでしっかりしていないと回ることが出来ませんね?ぐにゃぐにゃの芯でも、曲がりくねった芯でもうまく回りません。

仏教も同じです。芯になる教えがあることで、一見矛盾しているように見える教えが体系化されます。一つの大仏教として体系化されて私たちの役に立ちます。

体系化するための考えが「妙」です。妙とは、分からないと知ることです。私たちはすぐにいろいろなものを相対的にみて、どちらか一方につこうとします。そして正しい・正しくないと判断します。

生きていろいろな選択をしなければいけない私たちにとって仕方がないことではあります。体は一つ、選択は無数ですから…。

しかしその選択をするとき、自分はこっちを選んだとするのはいいのです。でも選ばなかったものを無意識に批判していないでしょうか?ここがいけないのです。

妙とは分からないのです。判断できないのです。こう考えるならば、自分が選んだもの以外も悪いもの・劣ったものとするのはよくないのです。

自分は選ばなかったけれど、ああいう考えもあると見ていく。選択はしても判断したり・評価を下すことをしない。これが妙だと考えています。

世界は複雑です。私たち人間にはそのすべてを知ることは不可能です。すべてを知ることが出来ないのですから、善悪の判断や甲乙の評価はしない。否、出来ない。妙の教えはこのように考えます。

この考え方をすると、仏教のたくさんの教えが矛盾しているようで体系化していることが信じられます。妙という中心を得て、それぞれが自分の役目を果たしていると感じることが出来ます。

お題目・南無妙法蓮華経は妙を信得するためのご修行

お題目修行は、妙という事を信じて、心に宿そうとするものです。もう何も考えなくても無意識に妙という考え・教えに従えるようにと修行するのです。

例えば、自転車に乗るための練習。乗れないうちはいろいろ考えてしまいますけれど、一度でも乗れるようになると、何も考えずとも乗りこなしてしまいます。

お題目修行も同じ。妙とは、分からない。だから選択はするけれど、良い悪い・優れる劣るなどの判断や評価はしない。こう考えられるようになりたい!と念じながら、お題目修行をするのです。

こうしていくといつの日か、きっと自転車が無意識に乗れるように、私たちの心に妙が働くようになるはずなのです。これを信じて、お題目を唱え続けることが大切です。

妙は、理論で得られるものではありません。信じることで得られるものですから!

一日3分、お題目修行を一緒にいたしましょう!

お題目修行のホームページを追加しました。上のメニューからもリンクが張られています。朝日の写真の中に大曼荼羅ご本尊の写真を掲載しています。この写真の下にお題目修行の音声ファイルがありますので、一緒にお題目を唱えていきましょう。

妙をつかめば、負の感情のほとんどは消え、気持ちよく日々を過ごせるようになると思っています

妙は、分からない。だから判断しない、評価しないのです。こうなれば、負の感情は消えることでしょう。負の感情がなくなれば、日々を気持ちよく過ごせるはずです。

日々を気持ちよく過ごす。誰もが憧れる生き方でしょう。ここを目指して、この修行のページをご活用いただければ幸いです。

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