ドタバタ顛末記 | 一泊、そして9時間の帰宅旅

南紀白浜。母の最期の旅行地です。

早朝に急報をもらい、急いで出発。問題はどう帰宅させるかでした。家からはかなりの距離。地元の葬儀屋さんに聞いても迎えに行くには距離が遠すぎるとの返答。

そこで現地の葬儀屋さんにもお伺い。帰宅を手伝ってくれないかと。しかしこちらも遠いという理由で却下。

飛行機で「空輸」するという方法があるにはあります。ただこの方法は、個人的に嫌でした。なんだか母を「物扱い」してしまうような感じがしたのです。

海外で不幸があったとかならば空輸がほぼ一択でしょう。仕方がないと思います。でも私の場合は、遠いと言っても国内。なんとか一緒に帰宅できないかと思ったのです。

そこでインターネットで調べて、いろいろな会社に電話をかけまくりました。

すると、捨てる神あれば拾う神ありです。一社、やりますよと言ってくれたところがありました。本当にありがたかったです。

ただ迎えに来てすぐに出発はできないのです。なんでも8時間以上の長距離移動は間に十分な休みを取らなければいけないという法律があるそうです。

ですから、白浜で一泊しなければいけません。看取ってもらった病院で一泊できないかとお伺いすると、無理とのこと。

そこで現地の葬儀屋さんなどに片っ端から泊まらせていただけないかとお伺い。なかなかいい返事がもらえませんでしたが、一軒だけいいよと言ってくれるところがあり、そこで泊ったのでした。

母の遺体との一泊です…。誰も話す人がいない、そんな一夜でした。

まあ、いろいろと考えました。思い出がよみがえりました。至らない子供だったのではないかと後悔や不十分さなど、本当にいろいろなことを思い出す時間でした。

結局、眠れず、お線香を灯し、お経やお題目を唱えながら、いろいろなことが考えて朝を迎えました。私にとってある意味、お通夜だったのかなと思っています。

朝九時。迎えに来てくれた車に乗って、母と我が家に帰宅の旅の開始です。ドライアイスがたくさん入っている棺の横に座りました。

運転手さんが、窓を開けておいてくださいというのです。冬ですので外はとても寒いです。なぜ?って聞いたら、「ドライアイスはとても危険なのだ」というのです。密封した空間でドライアイスと一緒に長時間いると、亡くなる人もいるとのこと。

確かに窓を開けないでしばらくいたら、気持ち悪くなるようでした。それからは寒くても窓を半分以上空けておきました。

ドライアイスは危険。これはしっかりと皆様にも伝えておきたいと思います。

とても良い運転手さんで、いろいろと話しながら、18時過ぎ、もう19時になろうとする頃、母は帰宅を果たしました。

なんとか帰宅させることが出来たとホッとしたことを覚えています。

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