当教会の玄関前には「水子地蔵」がお祀りされています。
亡くなった母は、法華経の篤信者でした。毎朝、水子地蔵地蔵様の前で、お経を読み、お題目を唱えて、水子(見ず子=この世に生まれてこれなかった生命)の供養をしていました。
生命が誕生するのはとても大変で、尊いことです。現代は医療が発達しているので、なかなか実感できません。しかしお年を召した方々に聞くと、一人や二人、兄弟姉妹で水子や早逝したものがいると言われるものです。
母もチラッと、自分の経験を話してくれたことがありました。こんなことから水子地蔵さまを毎朝欠かさずお参りしていたのかもしれません。
今回は、生まれてこれなかったけれど、次の生では必ず生まれて幸せになるのだよと。
母が亡くなった次の日から、私が引き継いでお祈りをするようになりました。おそらく母が思っていたことを引き継いで…。