法華経の中に出てくる経文です。仏様の心のあり様を表したものと私は理解しています。
仏様はいつでも広い心持で人々と接することができる。例えるならば海が全ての河川の水を流れ入れるようだというのです。決してあの川の水は汚いから入ってくるなと拒否しないのだと。
このような仏様の御心に少しでも近づけるようにみんなでなろう!これが仏教という宗教です。こう私は思っています。
宗教というと、なにか特別な力を持った存在が私たちを救ってくれるもの、と思いがちですが、仏教は違います。仏様の御心にみんなでなっていこう。適うような存在になろうとするものです。
だから仏様は不思議な力を持ちません。こう思います。病気を治す力はお医者様にこそ求めるべきです。
不思議な力はないですが、それでも私たちを導いてくれる存在。目標として前に立っていてくれる存在。これが仏様です。
そして仏様の根本は、海のような広い心で私たちを受け入れてくれること。これだけだと思っています。
日常でも、あの人と話したら、話を聞いてもらったら心が楽になったという経験をしたことがあると思います。ここでいう「あのひと」こそ仏様なのでしょう。
私たちが皆、自分の生活環境の中で「あの人=仏様」の役割が出来るようになれば、素晴らしいことでしょう。
私自身のことで振り返ると、仏の御心への道は険しく、一歩進んだと思ったら三歩も五歩も十歩も後退するといった状態ではないかと…。そしてああ、またやってしまったと…。
こんな状態ではありますが、其心安如海という経文だけは忘れずにいたいと思う次第です。