厄ということ

年が明けると、今年は厄年だから厄払いをしようというかたがいます。

厄ってなんでしょう?

一般に年齢で決まっているものとされています。大厄などというものもありますね。

なんなのでしょう?

日蓮大聖人は、ご信者様に厄について聞かれ、言われはよく分からないと答えています。

分からないけれど、体の節のようなものでないかとおっしゃいます。骨と骨の継ぎ目である節。つまりは関節ですが、ここは一番折れやすいところ。人生においても、折れやすい関節のような時期があり、これを厄と考えたのではないかと。こうおっしゃるのです。

私は大聖人のご遺文を読んで、なるほどと納得できたのです。そして約10年を一区切りにして運勢が一回転する九星気学を利用して、厄というものを考えるようにしました。

これは厄というものに決まった法則はないのだと思っているということです。一般的な考え方とはかなり違いますが。

10年くらいで一つの運勢が終わり、また新しい運勢が始まると考える時、このつなぎ目に当たるのが厄年と考えるのです。

この厄年は3年続きます。後厄、本厄、前厄です。後厄が前にありますが、これは今までの運勢の終わりを意味します。本厄は関節でいえば軟骨のようなもの。骨と骨をくっつけているところ。前厄は新しい運勢の最初という意味。

つまり三年で運勢が新旧交代するという意味合いです。中でも本厄が最も危険だとします。

厄年には、厄払いをといいます。

では厄払いとは何か?

節目の時期にいるので、気を付けようと注意喚起するための祈願といえるかもしれません。…正解があるのか、わかりませんが…。

ただ大聖人のおっしゃるように厄が節目だとすればそれは誰にでも必ずやってくるものです。こういう時期は特に仏神やご先祖様を頼りに、自分の今までのことを省みて、新しい運勢に備えていくのがいいのではないかと、有縁の方々には伝えています。

行動をするのではなく、じっくりと内省する時期。これが厄だと思っています。

…私は今年、本厄です…。当教会の考えで割り出すと、ですが…。

厄年をただ悪いものと思わないようにしたいものです。なぜなら長い人生において、こういうじっくり内省する節目のような時期も必要だと思うからです。

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