自分が蒔いた種

「自分で蒔いた種は自分で刈り取るしかない」

よく読む携帯小説の主人公が言った言葉です。

当教会の信仰では、私たちは常に久遠実成本師釈迦牟尼仏(本佛)と一緒。生まれる時も、生きている時も、死ぬ時も、このお釈迦様と共にあります。

このように幾度となく繰り返される人生を体験しながら、この世が本佛の世界であるという本来の姿に立ち返るように働いていくわけです。

すると、この世の今の在り方、そしてこれからの在り方がダイレクトに私たちの来世に影響することが分かります。

今生きているこの世界がどのような未来をつくるのか?これが重要だと。

なぜなら、今進んでいる世界のあり様の延長線上にある未来に、私たちは生まれ変わるということですから。

たとえば、核戦争が起こってしまった…。そのあとの時代に自分が生まれ変わるのだとしたら…。

たとえば、競争原理を絶対視して、強いもの・豊かなものが強く肯定するのが当たり前の世界となり、これがどんどんエスカレートしていったら…。まるで弱肉強食の野生動物の世界のような時代に自分が弱者として生まれ変わると想像してみたら…。

こう妄想すると、今の人生がとても大切だということになります。今の人生(自分の蒔いた種)しだいで、成果物(未来の様子)が違ってきて、しかも自分はその成果物のもとに生まれ変わるのだから。

もし悪い成果物に待遇の悪い立場で生まれ変わってしまったら、この世を本佛の世界に返すという私たちの修業はさらに困難なものとなってしまいます。

今の人生を良い種にしていきたいものですね。

これはあくまで信仰の話です。そして当教会が信じることの話です。

信じることの話ですが、こんな話も少しはお役に立つのかなとも思って、書いてみました。

もし最後までお読みいただけたのなら、ありがとうございます。

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