「自分が!」から「自分から始めていつかきっと…」へ

仏教の目的は、成仏です。

つまり

私たち信仰者が

仏様のお悟りを共有する

ということです。

経典を読むと

大変難しい…

こう思わざる得ません。

そこで

表題の言葉なのです。

自分が生きている間に成仏するんだ!

と意気込むのは大切ですが、

実際にはとても難しいのです。

だから

まず成仏したいと思う

このように思えるようになった人が

自分のできる範囲で

学んだ教えを実践していく。

すると、

この人に感化される人も出てくるはず。

子供かもしれません。

友達かもしれません。

地域の人、

または

ほんのちょっとすれ違っただけの人かもしれません。

このような人々が、

成仏という明確な目標を持っているわけではないでしょうが、

はじめの人と同じような行いをするようになっていく。

そしてまた周りを感化する…。

このような繰り返しで

とても難しい仏教の究極目標・成仏がいつの日にか大勢の人と共に達成できればいいのです。

法華経にも「地涌(じゆ)の菩薩」という方々が出てきます。

お釈迦様が、法華経を広めようと志す弟子はいないか?と問うたところ、

みな、その大変さからしり込みします。

問われた人は皆、この世(私たちの世界)で広めるのは難しいから、別の世界で広めるといいます。

これだけ難しいのです。

そんな中で、ある一団の弟子たちが

こなくそ!やってやる!!と

お釈迦様の前で

どんな困難に見舞われようと

私がきっとこの世で法華経を広めてみせます!

宣言するのです。

「自分が!」という信仰です。

お釈迦様はこれらの宣言をした人々に

「お前たちではないよ。この世で法華経を広めるのは」とおっしゃいます。

この後出てくるのが

先ほどの「地涌の菩薩」です。

地面から無数の菩薩様方が次々に出てくるとあります。

みな互いに師匠となり弟子となり

教え(信仰)を共有している菩薩様方です。

「自分から始めていつの日かみんなで成仏を」という信仰をする方々です。

成仏は仏教の究極の目標です。

有限の命を持つ一人の人間では達成するのは大変難しいのです。

だから少しずつ少しずつみんなで達成していくようにするのです。

これがお題目の信仰ではないかと私は思っています。

世の中に起こっている解決がとても難しい問題も

地涌の菩薩様方のように

後の世代に受け継ぐことを前提にしながら、

徐々に解決していくのが

いいのかもしれませんね。

自分で何でもできると思わずに!

未来が今よりもよくなっていくようにと願って!!

世相が大変悪くなってきました。

地涌の菩薩様が出現してくださるといいですね。

私もその隅っこにでもいられるように、なっていきたいものです。

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