三度まで
ということわざがありますね。
これ、普通、
どんなに温厚な人でも
何回も嫌なことをされれば
怒るもの
といった意味に使われているのではないでしょうか?
つまり
やり過ぎた!
という教訓です。
どんな優れた堪忍袋もいずれは、キャパがオーバーするのです。
この話、お釈迦様の故事から作られたものとも言われます。
お釈迦様という方は、
釈迦族という部族?国?民族?の指導者の息子に生まれます。
この釈迦族、
規模も小さく、国力も強くはないですが、
伝統がある民族だったようです。
歴史が古いということでしょうか?
そして民族愛がとても強かったとも伝えられています。
この釈迦族と友好を結ぼうと
隣接する大国が国王と釈迦族の高貴な女性との婚姻を持ち掛けます。
この大国は、強いけれど、歴史はさほどありません。
でも強いですから、釈迦族としては、無下に断れません。
でも自分たちのアイディンティティが素直に従うことも許しません。
そこでのらりくらりと結論を出さないようにして、
その間に、
釈迦族の中から、卑賎な身分の女性を選び、教育します。この女性を高貴な身分の女性として差し出すために…。
なんて悪質なのでしょう…。
こうして婚姻は成立し、大国では国王とこの女性との間に王太子が生まれます。この王太子、母の国である釈迦族を殊の外大切にしており、留学を希望し、許可されます。
この留学中に悲劇が起こります。
…否、釈迦族が慢心します。
つまり王太子を卑賎な女の子供だと揶揄したのです。大国の王太子ですから、直接ではないでしょうが…、揶揄したのです。
王太子は、これを知り、烈火のごとく怒ります。そしてすぐに留学をやめ、帰って母に問い正します。
母は泣く泣く、その通りだと答えます。
王太子はこれより釈迦族を滅ぼさずにはいられないという怒りでいっぱいとなります。
・・・分からないでもないですね…。
ただ、この王太子、お釈迦様の熱心な信者でもありました。釈迦族から出たこの聖者を自分の生き方の師として敬っていたのです。
お釈迦様も釈迦族の一人だと知っていたでしょうが、その優れたご人格に惹かれたのでしょう。怒り一辺倒の人物だったわけではないと思っています。
さて、王太子は王となります。
怒りを釈迦族へとぶつけることができる立場になりました。
そこで釈迦族へ攻撃の部隊を派遣します。自分が直接率いて!
これを伝え聞いたお釈迦様は、部隊の進路に先回りして、王の前に立ちはだかります。
王はお釈迦様の姿を見て、思い返し、部隊を撤退させます。
これが2回、3回と繰り返されます。
3回目、王は今までのように引き返しません。きっとすごい顔をしていたのでしょう。泣き顔でしょうか?怒りの顔でしょうか?とにかくもう尊敬する師であるお釈迦様が止めても、引くことはないという強い信念をもって、師と対峙します。
…お釈迦様は、自ら道を譲りました。
そして王により釈迦族は攻撃にさらされたのです。
お釈迦様はこの後、弟子たちに「いいのですか?」と聞かれた時、「王の様子から、事ここにきてしまったのだから、仕方があるまい…」と答えたとか。
仏の顔も三度まで・・・、
仏の顔を立てるのも3度までだ、とも言えるし、
仏をしても怒れるものを思い留まらせることができるのは三度までだ、とも言えます。
そしてその発端が、
自分たちに奢り、他を侮った行いだったことに
なんだかやるせなさを感じます。
自分にこういう部分がないか?
よく省みていきたいものです。