法華経の中に三車火宅(さんしゃかたく)というたとえ話があります。
法華経の中に三車火宅(さんしゃかたく)というたとえ話があります。
・・・・・・・
大金持ちの男はたくさんの子供を持っていた。
この男、今まで自分が住んでいたところが相当傷んでいると知り、住居から避難した。
安全な場所につき、住居の方を見ると、案の定、火事が起こった。
一安心していると、ある人から「あなたの子供たちがまだ家の中にいますよ」と教えられる。
急いで引き返し、子供たちに「もうその家は駄目だ。火が上がっている。危ないから早くこっちへ来なさい。」と声をかけた。
子供たちは「あ、お父さんだ」と手を振りニコニコしている。そして「火って何?この赤いの面白いね。触ろうとすると、手がびりびりするんだよ」などと喜んでいる始末。
男は、これでは埒が明かないと、子供たちが普段から欲しいといっていたものを与えるから早くこっちへ来いといって、子供たちの生命を救った。
・・・・・
ここに出てくる、子供たちが遊んでいた「火」とは何を例えているのでしょう?
おそらく欲望だと思います。
それも行き過ぎた欲望。
欲望自体は、誰にでもあり、また自分を高めるための原動力になったりもするもの。だた行き過ぎた時、とんでもないことを引き起こすのです。
何事も行き過ぎは良くない。
こう思っていていいのではないでしょうか?