先祖供養という伝統。
先祖供養というのは、
有限の命、
いずれこの世を去らなければいけない命
を持つ私たちには大切だと考えます。
なぜなら、
あったものがなくなる
というのはたいへんな恐怖だから。
死というどうしようもない事実・現実は、恐怖そのものです。
自分がいなくなるわけですから。
時と共に自分がこの世で生きていたという事実さえ風化していくのですから。
そんな時!
誰かが「ありがとう!」と言ってくれるとしたならば…、
気持ちの上だけかもしれませんが、少しは恐怖が和らぐのではないかと思うのです。
先祖供養は、このありがとうの継続システムです。
今生きている私たちは、過去に生きたご先祖様にありがとうと先祖供養をする。
私たちがなくなったら、子孫がまたありがとうと先祖供養をしてくれる。
この循環が、平々凡々の人生を歩んでいくであろうこの私を、あっという間に忘れされれるであろうこの私の人生を、確かにあった、いてくれてありがとうと肯定してくれるのです。
子孫は、先祖がいなければ生まれないのですから。
先祖供養という良き伝統。
これからも、どんなに時代が変わろうと、続けていきたいものです。
今日から、私の地域ではお盆。
ちょっと思ったことを書いてみました。