ついに水がわいた。
このようなたとえ話が法華経の中にあります。
なんでもそうでしょうが、
最初から手ごたえを得ることができるものなど、ほんの少しです。
やり始めたけれど、
なんだか分からない、
もうやめちゃおうか…、
つまらない、
・・・
最初は、手ごたえが得られず苦労するものです。
でもこの苦労を感じつつ、
それでもと、続けていると、
手ごたえらしいものがつかめてくる。
そして本当に自分のものになってくる。
乾いた土を掘り始めるのは、新しいことをやり始めたという事。
まったく水が湧いてこず、疑心暗鬼になるのは、手ごたえがつかめず苦労しているという事。
それでもあきらめず続けるとき、地面が湿ってきて、ついに水が得られる。
なんでもこの流れなのだと法華経の喩は教えています。
信仰も同じ。
信じて、お題目を唱え始め、疑心暗鬼になりつつも、それでも唱えていく。信仰していく。
ここに信仰によって得られるものが見えてくるのでしょう。
無理せず、少しずつ、
しかし途中でやめずに
信仰を続けて
功徳を得ていきたいものです。