なぜ?

人が亡くなって

一年目の儀式を、一周忌

次の年の儀式を、三回忌

というの?

素朴な疑問を前に頂いたのです。

不思議ですね。

この年回忌、いろいろと意味づけされています。

思うに、どれが正解というものはないのです。大切な人が亡くなり、その悲しみ、ぼっかり空いた穴を埋めていく。同時に次世代が故人に代わって周りに認知されるためのものだと思っています。

悲しみを清算するのは、時間がかかるものです。ましてや恩ある人との死別という悲しみは、悲しみばかりでなく、様々な感情がおこるものですから。

また年回忌という他者を招待しての儀式を立派に勤めることで、他者がその人を認めるという側面もあると感じています。あの人は弔いを立派にしていた。あれならばこれからの付き合いも大丈夫だろうと思ってもらえるのだと。

こういうわけで、当教会も当教会なりに年回忌に対して意味づけをしています。

一年目の一周忌は、死後、一週周ったという意味。そして故人の魂が新しい生をスタートしたものと考えています。普通、死後四十九日で納骨をします。ここから一周忌までが10か月ちょっと。興味深いことに、胎児がお母さんのおなかから出るのが十月十日とされている、この期間に似ています。だから当教会では、死者は一周忌にこの世のどこかで新しい生をスタートさせるものと考え、法事をしています。

次の年の年回忌は、三回忌です。次の年なのに…三回忌なのです。二年目に三周忌でなく、三回忌???

これを当教会では、人の魂は、幾多の人生を繰り返しつつ永遠だと思うことで意味付けます。一周忌で新しい生を得た霊魂は、前の生からカウントして2年目とします。前世を1とカウントし、新しい生を得て2と数えるのです。こうすると一周忌の次の年は3となります。三回忌です。そしてこうしてみていくならば、新しい生を得た魂は、新しい世界で数えの3歳。ちょうど七五三に当たります。新しい世界ですくすく成長していくようにとも祈る。こんな年回忌が三回忌だと当教会では考えています。

次は七回忌。死後、六年目ですが、同じように七五三の考え方を採用しています。ちなみに当教会では、五回忌も提案していますが…、あまり納得はしていただけない状況にあります。

次は、13回忌。死後、12年目。子供のが大人になる過渡期です。

次は17回忌。死後、16年目。これは子供だった精神が大人へと変貌する時期と考えます。

次は、21回忌。死後、20年目。お分かりの通り、成人式です。心身ともに大人となります。当教会では、この年の年回忌法要をもって、弔い上げとします。向こうの世界で、恩ある人は立派に成人したのですから、もう安心だと考えて。

弔い上げとは、葬儀の時、授与した戒名を返し、○○家先祖代々の霊の中に入ってしまう事です。以後は、故人の霊(戒名)としての法要をせず、先祖供養をしていくことになります。

当教会では、故人は、新しい生を赤ちゃんから始めると考え、大人になるまで見守って(弔って)いこうという趣旨で年回忌法要を勤めています。新しい生ですくすく成長していくようにと願う(弔う)ことが、受けた恩を少しでも返す行いになるのだと信じて。

私たちの世界でも、子供は弱いものです。守っていくものです。こういう気持ちで宗教儀式をすることで、新しい生を弱い立場で始めた恩ある人を応援していくのだと考えています。

儀式はただ儀式だからとやると、だんだん大変になります。何らかの意義をもってやることで、続けることもできるでしょうし、価値あるものと思うこともできるようになるのだと考えます。

正解のない(ないと思っている)宗教儀式への意味付け。当教会ではこのように霊魂の不変を基にして考えています。

ちょっとだけ書いてみました。ご参考にしていただけたら幸いです。

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