と経典に出ていました。
生死とは、人生のこと。生まれてから死ぬまでをいいます。
これが無量。
つまり幾度も繰り返す、というのです。
それも法華経・お題目の教えに従うならば、
ご本佛の世界である、この世にです。
そしてご本佛の世界であるこの世を
ご本佛が思い描いた理想の姿、否、この世の本来の姿なのでしょう…、
このようにするために私たちは幾度も(無量に)この世に生まれてくるのです。
ご本佛の理想を体現するために私たち(法華経・お題目の信者)はいると信仰します。
このような信仰ならば、今の生で急いで結果を出す必要がなくなります。地道に、コツコツと、自分のできる範囲で、ご本佛の理想を実現しようと自分なりに生きていく。
このような生き方をすることで、次のより良い生に繋がると信じていけます。
現代社会は、効率化や結果重視の視点が大きいと思われます。確かに変化が激しい、競争の激しい社会ですから、このようになるのは仕方がないことかもしれません。
これを否定するわけではありません。でも前述した視点もぜひ取り入れていただきたいと思うのです。そうすれば、たとえ行動の結果、今生で様々な苦を味わったとしても、その行動がご本佛の理想に近づこうと行ったものと皆さん自身が信じられるならば、次のより良い生へと繋がります。
信仰により、このように思える余地を持つのは大切ではないでしょうか。一度きりの人生と思えば、ここで結果を出さなければと思わざる得ません。もちろん、自分という名と記憶を持つ存在として来世に生まれ変わるわけではないでしょうから、一度きりと言えばそうなのですが…、魂というレベルで無量生死だと信じて、安心を得ていきたいものです。
そして無理せず、生き急がず、ご本佛の導きにより、未来世に繋がっているのだと信じて、安心をもって過ごせていければ思うのです。
無量の生死
いい教えだと、私は思ったのでご紹介いたしました。