お経を読むこと。
これが理想だと思っています。
昔、ある有名人がテレビで「通夜葬儀に出ると可笑しくて仕方がない」と言っていたのを聞いたことがあります。
多くの人が同じ黒い服を着て、静かに、訳も分からぬ坊主のお経を聞いている姿がおかしいのだそうです。
葬儀に参列しているのだから、考えるべきところはそこではないだろと密かに突っ込みながら、こういう人もいるんだと感じたのです。
ただ訳の分からぬお経を聞くというのは、その通りなのでしょう。坊主が読むお経は多くが漢字の音読み。
にょーぜーがーもん・・・
と言われてもなんだか分からないのは、その通り。
聞いて分からないのだから、内容はさらに分からない。つまり理解のしようがない。・・・こうなります。
だからお経は誰もが読むようになること。これが大切だと考えます。
「にょーぜーがーもん」ではなく、「是の如く我聞きき」と書かれていれば、少しは分かりやすいでしょう。
当教会のページでは、法華経の書き下し文を少しずつ充実させていきます。お時間があるとき、お読みいただければと願っています。
そしてちょっとでも法華経の教えに興味を持っていただければ、とも。