どう思うっていくかが

大事。

何のことかというと、

私たちが生きているこの世のこと。

多くの宗教では、この世は

不完全

とされています。

だから天国や浄土にいこう。

これが救いです。

でも…。

私はこの世しか知りません。

だからこの世しかありません。

そして

この世を考えると、

確かに嫌なこと・苦しいことを経験します。

でも

これらのことを経験して、嫌だとか、苦しいって感じるってことは、

その反対のことも経験しているからでしょう。

ずっと嫌なこと、苦しいことばかりならば、

それは日常。

このように感じることなどなくなってしまうでしょうから。

するとこの世は、

嫌なこと、苦しいことばかりではないといえます。

ところで天国・浄土は

苦しみや嫌なことがない、喜び・楽しみにあふれた世界だそうです。

これまで書いてきた流れでいうと、

天国・浄土では喜び・楽しみは日常茶飯事。

もう喜んだり、楽しんだりといった感情が湧かない世界といえます。

…このような世界…、どうなのでしょう…。

私個人では、こう思います。

良いことも・悪いこともいろいろ起こるこの世。

そしてこういう世界で生きているから、感情も豊かになります。

この世はこういう世界です。

この世界は、不完全なのでしょうか???

法華経では、久遠本佛が常住する世界として、この世は定義されています。

仏様が永住する世界。

この世界が不完全なのでしょうか???

信仰の世界ではこういう疑問が出てきます。

思うに、

不完全と思ってしまえば、完全にしなければいけなくなります。なにかプラスしていかなければならないでしょう。

でも完全なのだと思ったならば、あるものをどう使うかという問題になっていきます。完全なのにそうなっていないのは、使い方に問題があるのだとなるはずです。

この世をどう思うか?

これはとても大切だと考えています。もちろん、信仰の世界、心の世界の話ではありますが…。

法華経・お題目信仰は、この世は久遠本佛が常住する良い世界とします。そしてこの良い世界をそうできていないのは、私の生き方・使い方に問題があるのだとしていくのです。

大きな世界の流れは、私個人には手が付けられません…。

でも以上のように考えていくならば、手の届く所できっと改善も可能でしょう。小さな改善を少しずつ広げていくこともできるでしょう。

こう思います。

有縁の皆様、お題目信仰をしてまいりましょう!

法華経の書き下し文も順次アップしています。読んでみてください。

2
0