恩返しをしたい…。
こう思っても
その方々がすでに亡くなっていると
…私たちには直接何かできることがありません…。
先祖供養など、供養という儀式が行われるのは、
このなにかしてあげたいのにできないという現実を埋めるためでしょう。
…ただ、現代はこの供養という事も
それほど、大事にはされなくなってきているようです。
死者を弔う宗教儀式、
例えば通夜葬儀・年回忌などは
簡略化が進んでいたり、
またはまったくやらない!
という選択肢だって、社会的に認知され始めています。
きっと、宗教儀式で
ご先祖様や恩ある方へのご報恩ができると
考える方が減ったのでしょう。
私は、このように思っています。
ではどうご報恩をしていきましょう…。
死者に直接何かできない現実の中、
どう恩を返していけるのでしょう…。
当教会が信奉する法華経・お題目の教えでは、
久遠本佛というこの世に永遠に存在し続ける仏様を本尊と立てます。
そしてこの久遠本佛とこの世にいる私たちは深い深いご縁を結んでいるといいます。
この深い深いご縁の中身は、
久遠本佛と私たちの魂は一体化しているというものです。
私たちには、永遠の魂と有限の命があり、
魂のレベルで考えると久遠本佛と一つなのだとするのです。
あくまで、信仰の話ですが…。つまり、こう信じていく!という話です。
有限の命においては、
私たちは誰でも
生まれたら、必ず死を迎えます。
そして自分というものが消えます。
でも魂は永遠ですので、
永遠の仏様・久遠本佛に導かれて、
またこの世に新しい命を得るとします。
この時、私たちは前世のことはすっかり忘れています。
全く新しいものとなり、この世のどこかに生まれ変わります。
ちょうど赤子のような幼く、か弱い命として、
生まれ変わり、新しい生を始めます。
このように信じていきます。
こう信じるならば、
ご先祖様や恩ある方々は
亡くなった後、
この世のどこかに
赤子のようなか弱き命として
新しい生を始めていると考えることができます。
外に出て、見かける
お母さんに抱っこされている赤ちゃんが、
または、
私たちの下に生まれてきてくれた子供が、
ひょっとしたら、恩ある方々の生まれ変わりかもと思うことができるわけです。
そうすると、このようなか弱き命が、
幸せに生きていけますようにと、
私たちが心がけ日常を送ること!
これが恩返しとなるのです。
日常で目にする
私よりか弱き、幼き生命が
ご先祖様や恩ある方々なのだと信じるならば、
これらが少しでも過ごしやすく、幸せになれますようにと
日常を大切に生きる。
これが恩返しとなるのです。
そして、この幼き、か弱き命も
いずれ大人となり、
その時には私たちはこの世を去ることでしょう。
こうなった時、
私たちは、この世に幼き・か弱き命となって生まれ変わることでしょう。
そして、大人になった幼き、か弱き者たちによって、
大切に育ててもらえることでしょう。
このような循環が、
ずっと続き、
いずれ、必ず、
久遠本佛が常住するに値する
この世の真の姿が
現れることでしょう。
あくまで、
何度も言いますが、
信仰の話です。
信じる・信じないの話です。
そして信じる・信じないを決めるのは、
私たち個々人の意志です。
恩ある方々への恩返しについて、
当教会の信じることを少し書いてみました。
有縁の方々、どうかじっくりとなんども繰り返し読んで、
当教会の考えをご理解いただければと願っています。
※法華経の書き下し文を更新しました。