悔いのない人生って…

卒業式シーズンです。

そこで私が学生時代の卒業式を思い返すと、式辞・校長先生の訓話などなどでよく「悔いのない人生にするように」といわれていたように思います。

皆様はどうでしょうか?

この話を聞き、当時の私は「ああ、その通りなんだろうな」とぼんやり考えていたように記憶しています。

でも悔いのない人生って何?と思うのです。どうしたら悔いがない人生にできるのかって。

ここはお寺なので、いろいろな人がメールや電話、直接参拝して困りごとを相談していきます。大きなお寺と違って数は少ないですが…。

多くの方が過去の出来事を悔いている。そして困っている、苦しんでいる。このように感じるのです。

でもこの悔い、なくすことができるのでしょうか?こう思うのです。だって人は記憶を残す生き物。この記憶には良いこと・悪いこと皆残っています。そして悔いになる記憶とは、その人が生きてきた人生の中で、鮮明に思い出せる記憶でしょう。

鮮明に残っているのがその人にとって良いものだった悔いとはならないのでしょう。悪いものだから悔いなのでしょう。

そして私たちの人生は、順風満帆とはいきません。良い時、悪いときが必ず、絶対あります。このような人生の性質において、悔いがないというのは…可能なのでしょうか?

おそらく悔いをなくすことはできないのではないかと思うのです。だからもしなくすならば気持ちの問題。悔いなんだけど、悔いではないと気持ちを方向転換するしかないのではないかと思っています。

どうでしょうか?

そしてこの方向転換は、自分で決めて実行する。これに限るとも。私たちは何か実行すれば、結果を手にします。この結果が、後々、ふと振り返った時、悪いものならば悔いとなるのでしょう。この時、誰かに命令されるなどの他人の意志に従って実行し、悪い結果を得たならば、強烈な不満となることでしょう。でも自分で決めて実行したならば、…辛くても困っても誰かに責任を擦り付けることができません。

同じ悔いでも、自分で決めたのだから受け入れざる得ない悔い。辛いし困るし苦しいし…、嫌ですが、少なくとも自分で決め実行した結果です。他人に従って実行し、得た悔いよりはるかに受け入れられることでしょう。苦笑いしながら、受け入れようとするしかないと諦められるでしょう。

そして、こういう受け入れざる得ない悔いや、楽しい・良い思い出で自分の人生はできていると思えるようになればいいのではないかと。

悔いのない人生を送るのは難しいと思いますが、悔いや良い思い出は自分で決めて実行した結果だと、自分の責任だと受け入れられるように方向転換していければ、まあ仕方がないなと苦笑いでもしながら生きていけるのではないかと、この頃思うようになった次第です。

有縁の方々、お題目信仰を心のよりどころにして、頑張っていきましょう。

0
0