怒りという感情はとても怖いものだと思うのです。
それは怒りという感情が発せられ、これが行動に現れると、この行動を向けられた相手もまた怒りの感情を起こすようになりがちだからです。この感情には強い伝染力があるのではないかと私は思うのです。
そこで仏教を見てみます。仏教の創始者・お釈迦様は、悟りを開かれた後、怒りという感情を持たなかったといわれています。
また弟子に対しても、怒りを持たないようにと指導されたとも伝えられています。
仏教という教えにおいては、怒りという感情は好ましくないものと考えられていたのでしょう。
「良い怒り」はあるのか
ここで、一般的に言われている怒りの分類を見てみます。
怒りには、
- 私憤(個人的な感情から生まれる怒り)
- 義憤(道理に反することに対する怒り)
の二つがあるといわれることがあります。
そして多くの場合、
私憤は良くないもの、義憤は必要なものとされます。
たしかに、もっともな考え方のようにも思えます。
私自身も、そのように感じてしまうところがあります。
しかし仏教ではどう考えるのか
けれども、ここで一つ疑問が生まれます。
本当に怒りは、種類によって許されるものなのでしょうか。
お釈迦様は単に「怒り」と説かれており、
それを細かく分けて論じているようには見えません。
そう考えると、怒りという感情そのものを、
そもそも好ましくないものとして見ていたのではないか――
そのようにも思えてきます。
自分が一番大切であるという教え
古い経典には、次のような話があります。
ある夫婦が、お互いに問いかけました。
「自分より大切なものはあるだろうか」
二人はそろって、こう答えます。
「自分より大切なものは何もない」
この考えが正しいのかを確かめるために、二人はお釈迦様のもとを訪ねました。
するとお釈迦様は、こう説かれたといいます。
「その通りである。あなた方の考えは正しい。
そして誰にとっても、自分が一番大切なのだ。
だからこそ、自分を大切にするように、他者もまた自分を大切にしていることを理解し、関わっていかなければならない」
怒りとは何なのか
この話を踏まえて、あらためて考えてみたいのです。
怒りとは、いったいどのような感情なのでしょうか。
その答えは、一つではないのだと思います。
きっと、それぞれが自分の中で見出していくものなのでしょう。
そして、どう受け止め、どう行動するかも、
また一人ひとりが決めていくことになるのだと思います。
おわりに
私自身も、まだ答えを持っているわけではありません。
納得できることもあれば、そうでないことも多くあります。
それでも、怒りというものについて、これからも考え続けていかなければいけないと思っています。