通夜葬儀などの時、遺族の代表者を「喪主」と言います。そして大概、この喪主が「施主」も兼ねていることが多いようです。施主とは、金銭的なことを受け持つ役割と考えて間違いないでしょう。この施主について、ちょっと書いてみます。
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葬儀社のコマーシャルを、時折テレビなどで見かけます。
その多くは、「明朗会計」を前面に出したものになっているように思えます。もちろん、遺族に寄り添って儀式を行うというニュアンスも伝わってきますが、これはどこの葬儀社にとっても当たり前のことでしょうし、結果、あまり気になりません。
現代では、ローンやカード、キャッシュレス決済が当たり前になりました。お金を支払う瞬間よりも、後から口座から引き落とされることの方が多い時代です。だからこそ、「何にいくら必要なのか」がはっきりしている方が安心できるのは、自然なことだと思います。
まして、自分が「施主」という立場になった時には、その思いはより強くなることでしょう。
どれくらいの規模にするのか。
誰をお呼びするのか。
どのような形で送り出すのか。
そう考えていくと、どうしても費用の問題は避けて通れません。
そして、多くの場合は菩提寺の問題も出てきます。宗教儀式を行う際、菩提寺の住職にお願いすることは、今でも一般的と言えるでしょう。そうすると、「いくら包むのか」ということも気になってきます。
ここで少し、「施主」という言葉について考えてみたいのです。
施主とは、誰に、何を施す人なのでしょうか。
多くの方は、「お寺へ布施をする人」という意味合いをまず思い浮かべるかもしれません。もちろん、その側面もあるでしょう。
しかし当教会では、施主とは、
「故人とのお別れの機会を、故人と縁のあった人々に施す人」
と考えたいのです。
故人の死を知らせ、最後のお別れの場を整える。
故人を知る人々が集まり、故人を思い、手を合わせることができるように準備をする。
これが施主の大切な役目ではないかと思うのです。
そして、その役目を支えてくださる存在として、葬儀社の方々がおられます。
参列者が予定より多くても少なくても、その場に応じて動き、儀式を支え、施主側の思いに応えようとしてくださる。実際、葬儀という場では、本当に力強い存在だと思います。
ただ、そのような柔軟な対応を求める以上、どうしても完全な意味での「明朗会計」とはいかない部分もあるでしょう。参列者の人数や状況によって、費用に幅が出ることもあると思います。
けれども、本来の中心にあるべきものは、「いくらかかったか」だけではなく、
「故人とのお別れを、きちんと皆で行えたか」
ではないでしょうか。
菩提寺への布施についても、お寺ごとに考え方は異なりますから、一概には言えません。
ただ、本来の布施とは、「この金額」と機械的に決まっているものではないはずです。ご自身の状況に合わせ、正直に、過不足ないと思える形でお納めになればよいのではないかと、当教会では考えています。
施主とは、故人とのお別れを、故人の生前を知る方々にしていただく機会を提供する(施す)人。
もしそのように受け取っていただけたなら、幸いに思います。