海の水は、どこでも「塩辛い」という、一つの同じ味がすると言われます。
海には、様々な河川から水が流れ込みます。時には汚れたものや化学薬品など、本当に多種多様なものも流れ込むでしょう。それらを海は、まるで「混ぜ混ぜしてしまう」かのように受け入れ、一つの味へとしてしまう(笑)。だから海は、どこまでも同じ味なのだ、と。
私は、私たちの人生にも、この「海」に当たる何かがあるのではないかと思うのです。
私たちは皆、それぞれ別々の存在です。それぞれに違う人生があり、自分なりの味がある。いわゆる個性というものです。
私たちは、その個性を持ちながら生き、やがて海に当たるものの中へ流れ入っていく――つまり、この世を去っていく。
すると、海に当たるものは、それぞれ異なる沢山の個性を受け入れ、混ぜ合わせ、一つの味として受容してしまう。
しかし海は、ただ受け入れて終わるだけの存在ではありません。海からはまた水が蒸発し、雲となり、雨となって地上へ戻っていきます。私は、この循環の姿にも、大きな意味があるように思うのです。
それはまるで、再び個の人生が始まることにも似ています。そしてまた、それぞれの人生を歩みながら、海に当たるものへと流れ入っていく。
海に当たるものは、限りなく大きく、どのようなものでも区別なく流れ入ることを許してくれる。どのような人生を送った者であっても。
こう考えると、海に当たるものは、限りない慈悲や愛を持つ存在とも言えるのではないでしょうか。全てを受け入れ、また生み出す、海のような存在。これが宗教的な存在、信仰の対象になる存在だと考えていいのではないでしょうか。
そして、その慈悲と愛ある存在を「実在する」と信じていく。私は、それが信仰というものなのではないかと思うのです。
いろいろある人生。このような存在を信じることで、この「いろいろ」を乗り切る心の支えとして機能するのではないかと思うのです。
ご縁がありますように