弔いについて
親などのごく親しい人が亡くなったとき、私たちは弔いを行います。
なぜ弔いをするのかと考えると、亡くなった故人に直接何かをすることができないため、せめて心の面で故人を思おうとするからではないでしょうか。
弔いとは、故人に直接何もできない私たちが生み出した営みであるともいえましょう。
ここでは、この弔いについて当教会の考えを述べます。
弔いが生まれる理由
私たちは故人に対して直接的には何もできません。
たとえば故人が親であれば、話しかけたり、体を支えたり、介護したりといったことは、もはや叶いません。
この「何もできない」という事実は、遺された者にとって大きな心理的負担となります。
「親孝行したいときには親なし」という言葉は、その心情をよく表しています。
「思うだけ」でよいのか
では、故人を弔うとは、心で思うだけでよいのでしょうか。
これに唯一の正解があるわけではありません。
思うだけでよいという考えもあれば、それでは足りないと感じる考えもあります。
特に現代では、宗教や信仰が薄れていることもあり、その傾向は強いでしょう。
弔いの対象とは何か
しかし、故人を思うという行為は、この世にはいない存在を想定して行われるものです。
当教会では、この存在を霊魂と考えます。
つまり弔いとは、故人の霊魂に対してなされる行いなのです。
そして、霊魂という対象がある以上、弔いは何らかの形で働きかけるものであるべきと考えます。
単に思うだけでは、弔いとしては十分ではないと私たちは考えます。
弔いの目的 ― 成仏
仏教における最終の目的は成仏、すなわち仏となることです。
弔いもまた、この成仏を目指すものであるべきと考えます。
宗教儀式を重ね、遺族が故人と向き合うことで、時間をかけて霊魂は成仏へと至る。
その拠り所となるのが宗教であり、信じる心です。
弔いの流れ(当教会)
当教会では、弔いの過程を次のように考えています。
- 枕経
- 通夜
- 葬儀
- 初七日~四十九日
- 納骨
- 一周忌
- 三回忌
- (五回忌)
- 七回忌
- 十三回忌
- 十七回忌
- 二十一回忌(弔い上げ)
四十九日までの弔い
この期間は、故人がまだ人生を清算しきっていない段階と捉えます。
遺族は故人に代わって善行を行い、その功徳を故人に回向します。
人は善悪を重ねて生きる存在です。
その中で、遺族の善行が故人のものとして受け取られていくと考えます。
年回忌の弔い
一周忌以降は、故人が新たな生を得た段階と捉えます。
故人はもはや以前の姿ではなく、新しい命としてどこかで生きている存在です。
この時期の弔いは、親が子の成長を見守るような心で行います。
- 一周忌:新たな生の始まり
- 三回忌・五回忌・七回忌:成長の節目(七五三)
- 十三回忌・十七回忌:身体の成熟期
- 二十一回忌:成人
新たな生がつつがなく歩まれるよう祈ることが、この時期の弔いです。
弔い上げと成仏
二十一回忌をもって弔い上げとし、戒名を返上し、先祖代々の霊と融合すると考えます。
先祖の霊は一つとなり、子孫を見守る仏となります。
そして私たちも、やがてそこに連なっていくのです。
当教会の考え
当教会では、弔いは心で思うだけでは不十分であると考えています。
宗教と信仰の力を拠り所とし、儀式を重ねながら、時間をかけて故人と向き合うことが大切です。
ご依頼について
本稿をお読みいただき、当教会にご依頼をお考えいただけましたら幸いです。
その際には、すぐにご依頼いただくのではなく、まずは一度ご連絡ください。
実際の教会の様子をご覧いただき、安心して任せられるかをご判断いただきたいと考えております。
言葉だけでは伝わらないこともあります。
直接お会いいただくことが、より良い弔いにつながると考えております。
ご縁を賜りますことを、心より願っております。