五百弟子受記品第八

起き已って遊行(ゆぎょう)し他国に到りぬ。衣食の為の故に勤力求索(ごんりきぐしゃく)すること甚だ大に艱難(かんなん)なり。若し少し得(う)る所あれば、便ち以て足りぬと為す。

後に親友、会(あ)い遇(お)うて之を見て、是の言を作さく、咄哉(つたなや)、丈夫(じょうぶ)、何(なん)ぞ衣食の為に乃ち是の如くなるに至る。我、昔、汝をして安楽なることを得(え)、五欲(ごよく)に自ら恣(ほしいまま)ならしめんと欲して、某(それがし)の年日月に於て無価の宝珠を以て汝が衣の裏に繋けぬ。今、故(な)お現にあり。而るを汝知らずして、勤苦・憂悩して以て自活を求むること、甚だこれ痴(おろか)なり。汝、今此の宝を以て所須(しょしゅ)に貿易(むやく)すべし。常に意の如く乏短(ぼうたん)なる所なかるべしといわんが如し。

仏も亦是の如し。菩薩たりし時、我等を教化して一切智の心を発(おこ)さしめたまいき。而るを尋(つ)いで廃忘(はいもう)して知らず覚(さと)らず。既に阿羅漢道を得て自ち滅度せりと謂(おも)い、資生艱難(ししょうかんなん)にして少(すこ)しきを得て足りぬとなす。一切智の願、猶お在って失せず。今者(いま)世尊、我等を覚悟して是の如き言を作したまわく、諸の比丘、汝等が得たる所は究竟の滅に非ず。我、久しく汝等をして仏の善根を種えしめたれども、方便を以ての故に涅槃の相を示す。而るを汝これ実に滅度を得たりと謂えり。

世尊、我、今乃ち知んぬ。実に是れ菩薩なり。阿耨多羅三藐三菩提の記を授けたもうことを得つ。是の因縁を以て甚だ大いに歓喜して未曽有なることを得たり。