五百弟子受記品第八

爾の時に仏、諸の比丘に告げたまわく、汝等(なんだち)、是の富楼那弥多羅尼子を見るや不(いな)や。我、常に其の説法人の中に於て最も第一たりと称(しょう)し、亦、常に其の種々の功徳を歎(たん)ず。精勤(しょうごん)して我が法を護持し助宣(じょせん)し、能く四衆に於て示教利喜(じきょうりき)し、具足(ぐそく)して仏の正法を解釈(げしゃく)して、大(おおい)に同梵行者(どうぼんぎょうしゃ)を饒益(にょうやく)す。如来を捨(のぞ)いてよりは、能く其の言論の弁(べん)を尽くすものなけん。

汝等、富楼那は但(だた)能く我が法を護持し助宣すと謂(い)うことなかれ。亦、過去九十億の諸仏の所に於ても、仏の正法を護持し助宣し、彼の説法人の中に於ても亦最も第一なりき。

又、諸仏所説の空法(くうほう)に於(おい)て明了(みょうりょう)に通達(つうだつ)し、四無礙智(しむげち)を得て常に能く審諦清浄(しんたいしょうじょう)に法を説いて疑惑有ることなく、菩薩神通の力を具足し、其の寿命に隨って常に梵行を修しき。

彼の仏世(ぶっせ)の人、咸(ことごと)く皆、之(ふるなみたらにし)を実(じつ)に是れ声聞なりと謂(おも)えり。