仏の寿、六万劫ならん。正法住すること寿に倍し、像法復是れに倍せん。法滅せば天・人憂えん。其の五百の比丘、次第に当に作仏すべし。同じく号(なづ)けて普明といい、転次(てんじ)して授記せん。我が滅度の後に某甲(それがし)当に作仏すべし。其の所化の世間、亦我が今日の如くならん。国土の厳浄(ごんじょう)及び諸の神通力、菩薩・声聞衆、正法及び像法、寿命劫(じゅみょうこう)の多少、皆、上の所説の如くならん。
迦葉、汝已に五百の自在者を知りぬ。余の諸の声聞衆も亦当に復是の如くなるべし。其の此の会に在らざるは、汝、当に為に宣説すべし。
爾の時に五百の阿羅漢、仏前に於て受記を得已って歓喜踊躍し、即ち座より起って仏前に到り頭面に足を礼し、過(あやまち)を悔(く)いて自ら責(せ)む。世尊、我等常に是の念を作して、自ら已に究竟の滅度を得たりと謂(おも)いき。今、乃ち之を知りぬ、無智の者の如し。所以(ゆえ)は何(いか)ん。我等、如来の智慧を得べかりき。而るを便ち自ら小智を以て足りぬと為(な)しき。
世尊、譬えば人あり。親友(しんぬ)の家に至って酒に酔うて臥(ふ)せり。是の時に親友、官事(かんじ)の当に行くべきあって、無価(むげ)の宝珠(ほうじゅ)を以て其の衣(ころも)の裏に繋(か)け之を与えて去りぬ。其の人、酔い臥して都(すべ)て覚知せず。