信解品第四

世尊、是の時に窮子、父の此の言を聞いて即ち大に歓喜して、未曽有なることを得て、是の念を作さく、我、本心に悕求(けぐ)する所有ることなかりき。今、此の宝蔵、自然にして至りぬといわんが若し。

世尊、大富長者は則ち是れ如来なり。我等は皆仏子に似たり。如来、常に我等を為(こ)れ子なりと説きたまえり。世尊、我等、三苦(さんく)を以ての故に、生死の中に於て諸の熱悩(ねつのう)を受け、迷惑無知(めいわくむち)にして小法(しょうぼう)に楽著(ぎょうじゃく)せり。今日(こんにち)世尊、我等をして思惟して諸法の戯論(けろん)の糞を蠲除(けんじょ)せしめたもう。

我等、中に於て勤加精進(ごんかしょうじん)して、涅槃に至る一日の価を得たり。既に此れを得已って、心大に歓喜して自ら以て足れりと為し、便ち自ら謂うて言わく、仏法の中に於て勤(つと)め精進するが故に所得弘多(しょとくぐた)なりと。

然も世尊、先に我等が心、弊欲(へいよく)に著(じゃく)し小法を楽(ねが)うを知(しら)しめして、便ち縦(ゆる)し捨てられて、為に汝等(なんだち)当に如来の知見・宝蔵の分有るべしと分別したまわず。