信解品第四

我、時に座に在って身体疲懈(しんたいひけ)し、但、空・無相・無作を念じて、菩薩の法の遊戯神通(ゆけじんつう)し、仏国土を浄(きよ)め、衆生を成就するに於て、心、喜楽(きぎょう)せざりき。

所以(ゆえ)は何(いか)ん。世尊、我等をして三界を出(い)で、涅槃の証(しょう)を得せしめたまえり。又、今、我等、年已(としすで)に朽邁して、仏の菩薩を教化したもう阿耨多羅三藐三菩提に於て、一念好楽(いちねんこうぎょう)の心を生(しょう)ぜざりき。

我等、今、仏前に於て、声聞(しょうもん)に阿耨多羅三藐三菩提の記を授けたもうを聞いて、心、甚(はなは)だ歓喜し未曽有なることを得たり。

謂(おも)わざりき、今、忽然(こつねん)に希有の法を聞くことを得んとは。深く自ら慶幸(ぎょうこう)す。大善利(だいぜんり)を獲(え)たりと。無量の珍宝(ちんぽう)、求めざるに自ずから得たり。