時に貧窮(びんぐう)の子、諸の聚楽(じゅらく)に遊び国邑(こくゆう)に経歴(きょうらく)して、遂に其の父の止(とど)まる所の城に到りぬ。
父、毎(つね)に子を念(おも)う。子と離別して五十余年、而(しか)も未だ曽て人に向って此の如きの事を説かず。但、自ら思惟(しゆい)して心に悔恨(けこん)を懐(いだ)いて、自ら念(おも)わく、老朽(ろうく)して多く財物あり。金・銀・珍宝、倉庫に盈溢(よういつ)すれども、子息有ること無し。一旦(いったん)に終没(じゅうもつ)しなば、財物散失(ざいもつさんしつ)して委付(いふ)する所なけん。是(これ)を以て慇懃(おんごん)に毎(つね)に其の子を憶(おも)う。
復、是の念を作さく、我、若し子を得て財物を委付せば、坦然快楽(たんねんけらく)にして復(また)憂慮(うりょ)なけん。
世尊、爾の時に窮子(ぐうし)、傭賃展転(ゆうにんてんでん)して父の舍(しろ)に遇(あ)い到りぬ。門の側(そば)に住立(じゅうりゅう)して遥かに其の父を見れば、師子の牀(ゆか)に踞(こ)して宝几(ほうき)足(あし)を承(う)け、諸の婆羅門(ばらもん)・刹利(せつり)・居士(こじ)、皆、恭敬し囲繞(いにょう)せり。