世尊、自ら当に知(しろ)しめすべし。濁世(じょくせ)の悪比丘は、仏の方便・随宜(ずいぎ)の諸説の法を知らず。
悪口(あっく)・顰蹙(びんじゅく)され、数々(しばしば)擯出(ひんずい)せられ、塔寺(とうじ)を遠離(おんり)せられん。是の如き等(ら)の衆悪(しゅあく)をも仏の告勅(ごうちょく)を念うが故に皆当に是の事を忍ぶべし。
諸の聚落(じゅらく)・城邑(じょうおう)に、其れ法を求むる者あらば、我、皆、其の所に到って仏の所嘱の法を説かん。
我は是れ世尊の使(つかい)なり。衆に処するに畏(おそ)るる所無し。我当に善く法を説くべし。願わくは仏安穏に住したまえ。我、世尊の前(みまえ)、諸の来りたまえる十方の仏に於て是の如き誓言を発(おこ)す。仏自(ほとけみずか)ら我が心を知しめせ。