如来寿量品第十六

時に我及び衆僧(しゅうそう)倶に霊鷲山(りょうじゅせん)に出(い)ず。我、時に衆生に語(かた)る。常に此にあって滅せず。方便力を以ての故に滅不滅(めつふめつ)ありと現ず。余国に衆生の恭敬し信楽(しんぎょう)する者あれば、我、復彼(か)の中に於て、為に無上(むじょう)の法を説く。汝等、此れを聞かずして、但、我滅度すと謂えり。

我、諸の衆生を見れば、苦海(くかい)に没在(もつざい)せり。故(かるがゆえ)に為に身を現ぜずして、其れをして渇仰を生ぜしむ。

其の心、恋慕するに因(よ)って乃ち出でて為に法を説く。神通力是の如し。阿僧祇劫に於て、常に霊鷲山及び余の諸の住処(じゅうしょ)にあり。

衆生、劫(こう)尽(つ)きて、大火(たいか)に焼(や)かるると見る時も、我が此の土(ど)は安穏(あんのん)にして、天人常に充満(じゅうまん)せり。園林(おんりん)、諸の堂閣(どうかく)、種々の宝をもって荘厳(しょうごん)し、宝樹華果(ほうじゅけか)多くして、衆生の遊楽(ゆうらく)する所なり。諸天(しょてん)、天鼓(てんく)を撃(う)って常に衆の妓楽(ぎがく)を作し、曼陀羅華(まんだらけ)を雨(ふ)らして、仏及び大衆に散(さん)ず。