弥勒菩薩等(みろくぼさつら)倶(とも)に仏に白して言さく、世尊、是の諸の世界は無量無辺にして、算数(さんじゅ)の知る所(ところ)に非(あら)ず、亦、心力(しんりき)の及ぶ所に非ず。一切の声聞(しょうもん)・辟支仏(ひゃくしぶつ)、無漏智(むろち)を以(もっ)ても思惟して其の限数(げんしゅ)を知ること能(あた)わじ。我等、阿惟越致地(あゆいおっちじ)に住(じゅう)すれども、是の事(じ)の中(なか)に於ては亦達(たっ)せざる所なり。世尊、是の如き諸の世界無量無辺なり。
爾の時に仏、大菩薩衆(だいぼさつしゅう)に告げたまわく、諸の善男子、今当に分明(ふんみょう)に汝等に宣語(せんご)すべし。是の諸の世界の若(も)しは微塵を著(お)き及び著かざる者(もの)を尽(ことごと)く以て塵(ちり)と為して、一塵(いちじん)を一劫(いっこう)とせん。
我(われ)、成仏してより已来、復此(こ)れに過(す)ぎたること百千万億那由佗阿僧祇劫なり。是れより来(このかた)、我、常に此の娑婆世界(しゃばせかい)に在(あ)って説法教化(せっぽうきょうけ)す。亦余処(よしょ)の百千万億那由佗阿僧祇の国に於ても衆生(しゅじょう)を導利(どうり)す。
諸の善男子、是の中間(ちゅうげん)に於て、我、燃燈仏等(ねんとうぶつとう)と説き、又復其れ涅槃(ねはん)に入(い)ると言(い)いき。是の如きは皆(みな)方便(ほうべん)を以て分別(ふんべつ)せしなり。