所以(ゆえ)は何(いか)ん。如来は如実(にょじつ)に三界(さんがい)の相(そう)を知見(ちけん)す。生死(しょうじ)の若しは退(たい)、若しは出(しゅつ)有(あ)ることなく、亦在世(ざいせ)及び滅度(めつど)の者無(な)し。実に非ず、虚(こ)に非ず、如(にょ)に非ず、異(い)に非ず、三界の三界を見るが如くならず。斯の如きの事、如来明(あきら) かに見て錯謬(しゃくみょう)有ること無し。
諸の衆生、種々の性(しょう)・種々の欲(よく)・種々の行(ぎょう)・種々の憶想分別(おくそうふんべつ)有るを以ての故(ゆえ)に、諸の善根(ぜんこん)を生(しょう)ぜしめんと欲(ほっ)して、若干(そこばく)の因縁(いんねん)・譬喩(ひゆ)・言辞(ごんじ)を以て種々に法を説く。所作(しょさ)の仏事(ぶつじ)未(いま)だ曽(かっ)て暫(しばら)くも廃(はい)せず。
是の如く我成仏してより已来甚(はなは)だ大(おおい)に久遠なり。寿命無量阿僧祇劫(じゅみょうむりょうあそうぎこう)常住(じょうじゅう)にして滅(めっ)せず。
諸の善男子、我本(もと)菩薩の道(どう)を行じて成(じょう)ぜし所の寿命、今猶(な)お未だ尽きず。復上(かみ)の数に倍(ばい)せり。然るに今実の滅度に非れども、而(しか)も便(すなわ)ち唱(とな)えて当に滅度を取(と)るべしと言う。如来、是の方便を以て衆生を教化す。
所以は何ん。若し仏久(ひさ)しく世(よ)に住せば、薄徳(はくとく)の人は善根を種(う)えず。貧窮下賤(びんぐうげせん)にして五欲(ごよく)に貪著(とんじゃく)し、憶想妄見(おくそうもうけん)の網(あみ)の中に入りなん。若し如来常(つね)に在って滅せずと見(み)ば、便ち憍恣(きょうし)を起(おこ)して猒怠(けんだ)を懐(いだ)き、難遭(なんぞう)の想(おもい)、恭敬(くぎょう)の心を生ずること能わず。是の故に如来方便を以て説く。