ただし会(え)しがたき所は、上(かみ)の教主釈尊等の大難(だいなん)なり。この事を仏遮会(しやえ)して云く、「已(い)・今(こん)・当説(とうせつ)、最もこれ信じ難(がた)く解し難(がた)し」と。次下(つぎしも)の六難九易これなり。天台大師云く「二門悉く昔と反すれば、信じがたく、解(げ)しがたし。鉾(ほこ)に当るの難事なり」。章安大師云く「仏これを将(も)つて大事となす。いずくんぞ解し易きことを得(う)べけんや」。伝教大師云く「この法華経は、最もこれ信じがたく解しがたし、随自意なるが故に」等云云。
夫れ仏より、滅後一千八百余年に至るまで、三国に経歴(きようりやく)してただ三人のみあつて、始めてこの正法(しようぼう)を覚知せり。いわゆる月支(がつし)の釈尊、真旦の智者大師、日域(にちいき)の伝教、この三人は内典(ないでん)の聖人(しようにん)なり。
問うて曰く、竜樹・天親等は如何。
答えて曰く、これらの聖人は、知つてこれを言わざるの仁(ひと)なり。あるいは迹門の一分(いちぶん)をばこれを宣べて、本門と観心(かんじん)と云わず。あるいは機有つて時なきか。あるいは機時共にこれなきか。天台・伝教已後は、これを知る者多々なり。二聖(にしよう)の智を用ゆるが故なり。いわゆる三論の嘉祥(かじよう)・南三北七の百余人、華厳宗の法蔵・清涼等、法相宗の玄奘三蔵・慈恩大師等、真言宗の善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等、律宗の道宣等なり。初(はじめ)には反逆(ほんぎやく)を存し、後には一向に帰伏せしなり。