如来滅後五五百歳始観心本尊抄

問うて曰く、その証如何。

答えて曰く、法師品(ほつしほん)に云く「しかもこの経は、如来の現在すらなお怨嫉(おんしつ)多し。いわんや滅度の後(のち)をや」。宝塔品に云く「法をして久住(くじゆう)せしむ。乃至、来(きた)る所の化仏(けぶつ)、まさにこの意を知るべし」等。勧持(かんじ)・安楽等、これを見るべし。迹門すらかくのごとし。

本門を以てこれを論ずれば、一向に末法の初(はじめ)を以て正機(しようき)となす。いわゆる、一往これを見る時は、久種(くしゆ)を以て下種となし、大通(だいつう)・前四味(ぜんしみ)・迹門を熟(じゆく)となし、本門に至つて等(とう)・妙(みよう)に登らしむ。再往これを見れば、迹門には似ず。本門は序・正(しよう)・流通(るつう)ともに末法の始(はじめ)を以て詮(せん)となす。在世の本門と末法の初は、一同に純円(じゆんえん)なり。ただし彼は脱(だつ)、これは種(しゆ)なり。彼は一品二半、これはただ題目の五字なり。

問うて曰く、その証文如何。

答えて云く、涌出品に云く「爾(そ)の時に他方の国土の諸の来れる菩薩摩訶薩の八恒河沙(ごうがしや)の数に過ぎたる、大衆(だいしゆ)の中において起立(きりう)し合掌し礼を作(な)して、仏(ほとけ)に白(もう)して言(もう)さく。世尊、もし我等に、仏の滅後においてこの裟婆世界に在つて、勤加(ごんか)精進してこの経典を護持し、読誦(どくじゆ)し、書写し、供養せんことを聴(ゆる)したまわば、まさにこの土において広くこれを説きたてまつるべし。爾の時に仏、諸の菩薩摩訶薩衆(しゆ)に告げたまわく。止(や)みね、善男子(ぜんなんし)、汝等(なんだち)がこの経を護持せんことを須(もち)いじ」等と云云。