又亦(またまた)諸法を戯論(けろん)して諍競(じょうきょう)する所(ところ)有るべからず。当(まさ)に一切衆生(いっさいしゅじょう)に於て大悲(だいひ)の想(こころ)を起(おこ)し、諸の如来に於て慈父(じぶ)の想(おもい)を起し、諸の菩薩に於て大師(だいし)の想(おもい)を起すべし。十方(じゅっぽう)の諸の大菩薩に於て常に深心(じんしん)に恭敬(くぎょう)・礼拝(らいはい)すべし。一切衆生に於て平等(びょうどう)に法を説け。法に順(じゅん)ずるを以ての故に多くもせず少くもせざれ。乃至深く法を愛せん者にも亦為に多く説かざれ。
文殊師利、是の菩薩摩訶薩、後の末世の法滅せんと欲せん時に於て、是の第三の安楽行を成就(じょうじゅ)することあらん者は、是の法を説かん時、能く悩乱(のうらん)するものなけん。好(よ)き同学(どうがく)の共(とも)に是の経を読誦するを得(え)、亦、大衆の而も来って聴受(ちょうじゅ)し、聴(き)き已(おわ)って能く持(たも)ち、持ち已って能く誦(じゅ)し、誦し已って能く説き、説き已って能く書き、若しは人をしても書かしめ、経巻(きょうがん)を供養し、恭敬・尊重(そんじゅう)・讃歎するを得ん。
爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
若し是の経を説かんと欲せば、当に嫉(しつ)・恚(ち)・慢(まん)・諂誑(てんのう)・邪偽(じゃぎ)の心を捨てて、常に質直(しちじき)の行を修すべし。人を軽蔑(きょうせん)せず、亦、法を戯論(けろん)せざれ。佗をして疑悔(ぎけ)せしめて、汝は仏を得じと云(い)わざれ。
是の仏子、法を説かんには常に柔和(にゅうわ)にして能く忍び、一切を慈悲して懈怠(けだい)の心を生ぜざれ。十方の大菩薩、衆を愍(あわれ)むが故に道を行ずるに恭敬の心を生ずべし。是れ則ち我が大師なりと。