復、次(つぎ)に菩薩摩訶薩、一切(いっさい)の法を観ずるに空(くう)なり、如実相(にょじっそう)なり、顛倒(てんどう)せず、動(どう)せず、退(たい)せず、転(てん)せず、虚空(こくう)の如くにして所有(しょう)の性(しょう)無(な)し。一切の語言(ごごん)の道(みち)断(た)え、生(しょう)ぜず、出(い)せず、起(おこ)せず。名なく相なく、実(じつ)に所有無し。無量(むりょう)・無辺(むへん)・無礙(むげ)・無障(むしょう)なり。但、因縁を以て有(あ)り、顛倒に従(したが)って生ず。故に説く、常に楽って是の如き法相(ほっそう)を観ぜよと。是を菩薩摩訶薩の第二(だいに)の親近処と名く。
爾の時に世尊、重(かさ)ねて此(こ)の義(ぎ)を宣(の)べんと欲して、偈(げ)を説いて言(のたま)わく
若し菩薩あって後の悪世に於て、無怖畏(むふい)の心をもって此の経を説かんと欲せば、行処、及び親近処に入るべし。
常に国王及び国王子(こくおうじ)・大臣(だいじん)・官長・凶険(くけん)の戯者(けしゃ)及び旃陀羅・外道梵志を離(はな)れ、亦、増上慢(ぞうじょうまん)の人、小乗(しょうじょう)に貪著(とんじゃく)する三蔵(さんぞう)の学者(がくしゃ)に親近せざれ。破戒(はかい)の比丘、名字(みょうじ)の羅漢(らかん)及び比丘尼の戯笑(けしょう)を好(この)む者、深(ふか)く五欲(ごよく)に著(じゃく)して現(うつつ)の滅度(めつど)を求むる諸の優婆夷(うばい)に皆(みな)親近することなかれ。
是の若(ごと)き人等、好心(こうしん)を以て来り、菩薩の所に到(いた)って仏道(ぶつどう)を聞(き)かんとせば、菩薩(ぼさつ)則(すなわ)ち無所畏(むしょい)の心を以て悕望(けもう)を懐(いだ)かずして為に法を説け。