弥勒、当に知るべし。その時に会中に二十億の菩薩有って、法を聴かんと楽欲(ぎょうよく)す。是の諸の菩薩、此の光明、普く仏土を照すを見て、未曽有なることを得て、此の光の所為(しょい)・因縁を知らんと欲す。
時に菩薩有り。名を妙光という。八百の弟子有り。是の時に日月灯明仏、三昧従り起って、妙光菩薩に因(よ)せて大乗経の妙法蓮華教菩薩法仏所護念(みょうほうれんげきょうぼさつほうぶっしょごねん)と名くるを説きたもう。
六十小劫、座を起ちたまわず。時の会の聴者も亦一処に坐して、六十小劫、身心動ぜず。仏の所説を聴くこと、食頃(じききょう)の如しと謂(おも)えり。是の時に衆中に、一人(いちにん)の若(も)しは身、若しは心に懈倦(けけん)を生ずる有ること無かりき。
日月灯明仏、六十小劫に於て、是の経を説き已って、即ち梵・魔・沙門・婆羅門及び天・人・阿修羅衆の中に於て、此の言を宣べたまわく、如来、今日の中夜(ちゅうや)に於て、当に無余涅槃(むよねはん)に入るべし。
時に菩薩有り。名を徳蔵(とくぞう)という。日月灯明仏、即ち其れに記を授け、諸の比丘に告げたまわく、是の徳蔵菩薩、次に当に作仏すべし。号を浄身多陀阿伽度(じょうしんただあかど)・阿羅訶(あらか)・三藐三仏陀(さんみゃくさんぶっだ)といわん。
仏、授記し已って、便ち中夜(ちゅうや)に於て無余涅槃(むよねはん)に入りたもう。