是の妙光法師、仏の法蔵を奉持して、八十小劫の中に広く法華経を宣(の)ぶ。是の諸の八王子、妙光に開化せられて、無上道に堅固にして、当に無数の仏を見たてまつるべし。諸仏を供養し已って、隨順して大道を行じ、相継(あいつ)いで成仏することを得ん。転次(てんじ)して授記(じゅき)す。最後の天中天(てんちゅうてん)をば号(な)を然灯仏(ねんとうぶつ)という。諸仙(しょせん)の導師として、無量の衆を度脱したもう。
是の妙光法師、時に一りの弟子有り。心、常に懈怠(けだい)を懐(いだ)いて名利(みょうり)に貪著(とんじゃく)せり。名利を求むるに猒(あ)くこと無くして、多く族姓(ぞくしょう)の家に遊び、習誦(しゅうじゅ)する所を棄捨(きしゃ)し廃忘(はいもう)して通利(つうり)せず。是の因縁を以ての故に、之(このひと)を号(なづ)けて求名(ぐみょう)と為(な)す。
亦(しかしまた)、衆(もろもろ)の善業を行じ、無数の仏を見たてまつることを得ん。諸仏を供養し、隨順して大道を行じ、六波羅蜜を具して、今、釈師子(しゃくしし)を見たてまつる。其れ後に当に作仏すべし。号(な)を名(つ)けて弥勒といわん。広く諸の衆生を度すること、其の数量り有ること無けん。彼の仏の滅度の後、懈怠なりし者は汝、是れなり。妙光法師は、今、則ち我が身是れなり。
我、灯明仏を見たてまつりしに本の光瑞(こうずい)、此の如し。