譬(たと)えば、色(いろ)美(うつく)しく、髪(かみ)黒(くろ)くして年(とし)二十五なる人あって、百歳の人を指して、是れ我が子なりと言わん。其の百歳の人、亦(また)年少(ねんしょう)を指して、是れ我が父なり、我等を生育(しょういく)せりと言わん。是の事、信じ難きが如く、仏も亦(また)是の如し。得道(とくどう)より已来(このかた)、其れ実(じつ)に未だ久(ひさ)しからず。
而(しか)るに此の大衆の諸の菩薩等は已(すで)に無量千万億劫に於て、仏道の為の故に勤行精進(ごんぎょうしょうしん)し、善(よ)く無量百千万億の三昧(さんまい)に入(にゅう)・出(しゅつ)・住(じゅう)し、大神通を得、久しく梵行を修し、善能(よく)次第(しだい)に諸の善法(ぜんぽう)を習(なら)い、問答(もんどう)に巧(たく)みに、人中(にんちゅう)の宝として、一切世間に甚(はなは)だ為れ希有(けう)なり。
今日(こんにち)世尊、方(まさ)に仏道を得たまいし時、初めて発心せしめ、教化示導して、阿耨多羅三藐三菩提に向わしめたりと云う。世尊、仏を得たまいて未だ久しからざるに、乃し能く此の大功徳の事を作したまえり。
我等は復仏の隨宜(ずいぎ)の所説・仏の所出(しょしゅつ)の言(ことば)、未だ曽て虚妄(こもう)ならずと信じ、仏の所知(しょち)は皆悉く通達(つうだつ)すと雖(いえど)も、然(しか)も諸の新発意(しんぼっち)の菩薩、仏の滅後に於て若し是の語(みこと)を聞かば、或は信受せずして法を破(は)する罪業(ざいごう)の因縁を起さん。
唯然(ゆいねん)世尊、願わくは為に解説(げせつ)して我等が疑(うたがい)を除(のぞ)きたまえ。及び未来世(みらいせ)の諸の善男子、此の事を聞き已りなば亦疑を生ぜじ。