爾の時に世尊、諸の菩薩大衆の中に於て是の言を作したまわく、是の如し、是の如し。諸の善男子、如来は安楽にして少病少悩なり。諸の衆生等は化度すべきこと易し。疲労有ること無し。所以は何ん。是の諸の衆生は世々(せせ)より已来(このかた)、常(つね)に我が化を受けたり。亦(また)過去(かこ)の諸仏(しょぶつ)に於て供養・尊重(そんじゅう)して諸の善根(ぜんこん)を種(う)えたり。此の諸の衆生は始(はじ)め我が身を見、我が所説を聞き、即(すなわ)ち皆(みな)信受(しんじゅ)して如来(にょらい)の慧(え)に入(い)りにき。先より修習(しゅしゅう)して小乗(しょうじょう)を学(がく)せる者をば除(のぞ)く。是の如きの人も、我、今亦是の経を聞いて仏慧(ぶって)に入ることを得せしむ。
爾の時に諸の大菩薩、而も偈を説いて言さく
善哉善哉(よいかなよいかな)大雄世尊(だいおうせそん)、諸の衆生等、化度(けど)したもうべきこと易(やす)し。能く諸仏の甚深(じんじん)の智慧(ちえ)を問(と)いたてまつり、聞き已って信解(しんげ)せり。我等、隨喜(ずいき)す。
時に世尊、上首(じょうしゅ)の諸の大菩薩を讃歎したまわく、善哉善哉、善男子、汝等、能く如来に於て隨喜の心を発(おこ)せり。