毎(つね)に小乗の過(しゅぎょうのせいか)を惟(おも)うて、当に云何(いかに)して仏の無上慧(むじょうえ)を得(う)べきかを知(おもわ)ず。
仏の音声(さいじょうのみおしえ)の我等(われら)作仏(さぶつ)せんと言うを聞くと雖も、心、尚お憂懼(うく)を懐くこと、未だ敢て便ち食(じき)せざるが如し。
若し仏の授記を蒙(こう)りなば、爾(しか)して乃(すなわ)ち快(こころよ)く安楽(あんらく)ならん。
大雄猛世尊、常に世間を安(やす)んぜんと欲(ほっ)す。
願わくは我等に記を賜え。飢えて教(みおしえ)を須(ま)って食(じき)するが如(ごと)くならん。