智積菩薩の言わく、我、釈迦如来を見たてまつれば、無量劫に於て難行苦行(なんぎょうくぎょう)し功(こう)を積(つ)み徳を累(かさ)ねて、菩薩の道を求むること未だ曽て止息(しそく)したまわず。三千大千世界を観るに、乃至芥子(ないしけし)の如き許(ばか)りも、是れ菩薩にして身命(しんみょう)を捨てたもう処に非ること有ること無し。衆生の為の故なり。然(しこう)して後に乃(すなわ)ち菩提の道を成ずることを得たまえり。信ぜじ、此の女(にょ)の須臾の頃に於て便ち正覚を成ずることを。
言論未(ごんろんいま)だ訖(おわ)らざるに、時に龍王の女(むすめ)、忽(たちま)ちに前(みまえ)に現じて、頭面(ずめん)に礼敬(らいきょう)し、却って一面に住して、偈を以て讃めて曰さく、深く罪福(ざいふく)の相を達して、徧(あまね)く十方を照したもう。微妙の浄き法身(ほっしん)、相を具せること、三十二・八十種好を以て用(も)って法身を荘厳(しょうごん)せり。天・人の戴仰(たいごう)する所、龍神も咸(ことごと)く恭敬(くぎょう)す。一切衆生の類(るい)、宗奉(しゅうぶ)せざる者無し。又、聞いて菩提を成ずること、唯、仏のみ当に証知したもうべし。我、大乗の教を闡(ひら)いて苦の衆生を度脱(どだつ)せん。
爾の時に舎利弗(しゃりほつ)、龍女(りゅうにょ)に語って言(い)わく、汝、久しからずして無上道を得たりと謂(おも)える。是の事、信じ難し。所以(ゆえ)は何(いか)ん。女身(にょしん)は垢穢(くえ)にして是れ法器(ほうき)に非ず、云何(いかん)んぞ能く無上菩提を得ん。仏道は懸曠(はるか)なり。無量劫を経て勤苦(ごんく)して行を積み、具(つぶ)さに諸度(しょど)を修し、然して後に乃ち成ず。
又、女人の身には猶お五障(いつつのさわり)あり。一(いつ)には梵天王(ぼんてんのう)となることを得ず。二には帝釈(たいしゃく)。三には魔王。四には転輪聖王(てんりんじょうおう)。五には仏身(ぶっしん)なり。云何ぞ女身(にょしん)速かに成仏することを得ん。
爾の時に龍女、一つの宝珠(ほうじゅ)あり。価直(けじき)三千大千世界なり。持って以て仏に上(たてまつ)る。仏、即ち之を受けたもう。