像法の後(のち)の五百歳は、唐(とう)の始太宗(はじめたいそう)皇帝の御宇(ぎよう)に、玄奘(げんじよう)三蔵月支(がつし)に入つて十九年が間、百三十ケ国の寺塔を見聞して、多くの論師に値(あ)ひたてまつりて、八万聖教(しようぎよう)・十二部経の淵底(えんてい)を習ひきわめしに、その中に二宗あり。いわゆる法相(ほつそう)宗・三論(さんろん)宗なり。
この二宗の中に法相大乗は、遠くは弥勒(みろく)・無著(むじやく)、近くは戒賢論師(かいけんろんじ)に伝へて、漢土にかへりて太宗皇帝にさづけさせ給ふ。この宗の心は、仏教は機に随ふべし。一乗の機のためには三乗方便一乗真実なり。いわゆる法華経等なり。三乗の機のためには三乗真実一乗方便。いわゆる深密(じんみつ)経・勝鬘(しようまん)経等これなり。天台智者等はこの旨を弁(わきま)へず等と云云。
しかも太宗は賢王なり。当時(そのかみ)名を一天にひびかすのみならず、三皇(さんこう)にもこえ五帝(ごてい)にも勝れたるよし四海にひびき、漢土を手ににぎるのみならず、高昌(こうしよう)・高麗(こうらい)等の一千八百余国をなびかし、内外を極(きわ)めたる王ときこえし賢王の第一の御帰依(ごきえ)の僧なり。
天台宗の学者の中にも頸をさしいだす人一人(いちにん)もなし。しかれば法華経の実義すでに一国に隠没(おんもつ)しぬ。
同じき太宗の太子高宗(こうそう)、高宗の継母則天皇后(けいぼそくてんこうごう)の御宇に法蔵法師(ほうぞうほつし)と云ふ者あり。
法相宗に天台宗のをそ(襲)わるるところを見て、前に天台の御時(おんとき)せめられし華厳経を取り出(いだ)して、一代の中には華厳第一、法華第二、涅槃第三と立てけり。