像法に入つて四百余年と申しけるに、百済国(くだらこく)より一切経並に教主釈尊の木像(もくぞう)・僧尼(そうに)等日本国にわたる。漢土の梁(りよう)の末、陳(ちん)の始にあひあたる。
日本には神武天王(じんむてんのう)よりは第三十代、欽明(きんめい)天王の御宇(ぎよう)なり。
欽明の御子用明(みこようめい)の太子に上宮(じようぐう)王子、仏法を弘通し給ふのみならず、並に法華経・浄名(じようみよう)経・勝鬘(しようまん)経を鎮護国家(ちんごこつか)の法と定めさせ給いぬ。
その後人王(のちにんのう)第三十七代に孝徳(こうとく)天皇の御宇に、三論宗・成実(じようじつ)宗を観勒僧正(かんろくそうじよう)百済国よりわたす。
同じき御代(みよ)に道昭(どうしよう)法師漢土より法相(ほつそう)宗・倶舎(くしや)宗をわたす。