撰時抄

今末法に入つて二百余歳、大集経(だいしつきよう)の「於我法中闘諍言訟白法隠没(おがほうちゆうとうじようごんじようびやくほうおんもつ)」の時にあたれり。仏語(ぶつご)まことならば定んで一閻浮提(いちえんぶだい)に闘諍起るべき時節なり。

伝へ聞く、漢土は三百六十箇国二百六十余州はすでに蒙古国に打やぶられぬ。

花洛(からく)すでにやぶられて、徽宗(きそう)・欽宗(きんそう)の両帝、北蕃(ほくばん)にいけどりにせられて、韃靼(だつたん)にして終(つい)にかくれさせ給ひぬ。徽宗の孫、高宗(こうそう)皇帝は長安(ちようあん)をせめをとされて、田舎の臨安行在府(りんあんあんざいふ)に落ちさせ給ひて、今に数年が間京(みやこ)をみず。

高麗(こうらい)六百余国も新羅(しらぎ)・百済(くだら)等の諸国等も、皆皆大蒙古国の皇帝にせめられぬ。

今の日本国の壱岐(いき)・対馬(つしま)並に九国のごとし。

闘諍堅固の仏語地に堕(お)ちず。あたかもこれ、大海のしをの時をたがへざるがごとし。