これをもつて案ずるに、大集経の白法隠没の時に次で、法華経の大白法(だいびやくほう)の日本国並に一閻浮提に広宣流布(こうせんるふ)せん事も疑うべからざるか。
彼(か)の大集経は仏説の中の権大乗(ごんだいじよう)ぞかし。生死をはなるゝ道には、法華経の結縁(けちえん)なき者のためには未顕真実なれども、六道(ろくどう)・四生(ししよう)・三世(さんぜ)の事を記(しる)し給ひけるは寸分もたがわざりけるにや。
いかにいわんや、法華経は釈尊は「要当説真実(ようとうせつしんじつ)」となのらせ給ひ、多宝仏(たほうぶつ)は真実なりと御判(ごはん)をそへ、十方(じつぽう)の諸仏(しよぶつ)は広長舌(こうちようぜつ)を梵天(ぼんでん)につけて誠諦(じようたい)と指(さ)し示し、釈尊は重ねて無虚妄(むこもう)の舌を色究竟(しきくきよう)に付けさせ給ひて、後五百歳(ごごひやくさい)に一切の仏法の滅せん時、上行(じようぎよう)菩薩に妙法蓮華経の五字をもたしめて、謗法一闡提(ほうぼういつせんだい)の白癩病(びやくらいびよう)の輩(ともがら)の良薬(ろうやく)とせんと、梵・帝・日・月・四天・竜神等に仰せつけられし金言(きんげん)、虚妄なるべしや。
大地は反覆(はんぷく)すとも、高山(こうざん)は頽落(たいらく)すとも、春の後に夏は来(きた)らずとも、日は東へかへるとも、月は地に落(おつ)るとも、この事(こと)は一定(いちじよう)なるべし。