疑ふて云く、羅什已前はしかるべし。已後の善無畏(ぜんむい)・不空(ふくう)等は如何(いかん)。
答へて云く、已後なりとも訳者の舌の焼くるをば、誤りありけりとしるべし。
されば日本国に法相宗(ほつそうしゆう)のはやり(流行)たりしを、伝教大師責(せ)めさせ給ひしには、羅什三蔵は舌焼けず、玄奘(げんじよう)・慈恩(じおん)は舌焼けぬとせめさせ給ひしかば、桓武天皇は道理とをぼして天台法華宗へはうつらせ給ひしなり。
涅槃経の第三・第九等をみまいらすれば、我が仏法は月氏(がつし)より他国へわたらんの時、多くの謬誤出来(みようごしゆつたい)して衆生(しゆじよう)の得道(とくどう)うすかるべしととかれて候。
されば妙楽(みようらく)大師は〔「並に進退は人にあり、何ぞ聖旨(せいし)に関はらん」〕〈記九〉とこそあそばれて候へ。
今の人々、いかに経のまゝに後世(ごせ)をねがうとも、あやまれる経々のまゝにねがわば得道もあるべからず。しかればとても仏の御とがにはあらじとか(書)かれて候。
仏教を習ふ法には大小・権実(ごんじつ)・顕密(けんみつ)はさてをく。これこそ第一の大事にては候らめ。