故に三論宗の吉蔵(きちぞう)大師、南北一百余人の先達(せんだつ)と長者らをすゝめて、天台大師の講経を聞かんとする状に云く、〔「千年の興(こう)、五百の実、また今日にあり、乃至(ないし)、南岳(なんがく)の叡聖(えいせい)、天台の明哲(めいてつ)、昔は三業住持(ごうじゆうじ)し、今は二尊紹係す。あにただ甘露(かんろ)を震旦(しんたん)に灑(そそ)ぐのみならん。またまさに法鼓(ほうく)を天竺に震(ふる)うべし。生知(しようち)の妙悟、魏(ぎ)・晋より以来(このかた)、典籍(てんせき)の風謡実(ふうようまこと)に連類なし。乃至(ないし)、禅衆(ぜんしゆ)一百余の僧と共に、智者大師を奉請(ぶしよう)す」〕等と云云。
終南山の道宣律師、天台大師を讃歎して云く、〔「法華を照了(しようりよう)すること、高輝(こうき)の幽谷(ゆうこく)に臨むがごとく、摩訶衍(まかえん)を説くこと、長風(ちようふう)の大虚(たいこ)に遊ぶに似たり。たとひ文字(もんじ)の師千群万衆(せんぐんばんしゆ)ありて、数々彼(しばしばか)の妙弁を尋ぬるとも、よく窮(きわ)むる者なし。乃至、義は月を指すに同じ。乃至、宗(しゆう)は一極(いちごく)に帰(き)す」〕と云云。
華厳宗の法蔵法師(ほうぞうほつし)、天台を讃(さん)して云く、〔「思禅師(しぜんじ)・智者等のごときは、神異(しんい)に感通(かんつう)して迹登位(あととうい)に参(まじ)わる。霊山(りようぜん)の聴法(ちようぼう)、憶(おも)い今にあり」〕等と云云。
真言宗の不空三蔵・含光(がんこう)法師等、師弟共に真言宗をすてゝ天台大師に帰伏(きぶく)する物語に云く、〔「高僧伝(こうそうでん)に云く、不空三蔵と親(まのあた)り天竺に遊びたるに、彼(かしこ)に僧あり。問うて云く、大唐に天台の教迹(きようしやく)あり。最も邪正(じやしよう)を簡(えら)び偏円(へんえん)を暁(さと)るに堪(た)えたり。よくこれを訳してまさにこの土(ど)に至らしむべきや」〕等と云云。この物語は含光が妙楽大師にかたり給ひしなり。